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見てなかったもの

人と会話するのは、疲れる。
特に複数の人と話すのは、とても疲れる。

振り返ってみると、その場を無難にやり過ごすことだけしか、考えていないことの方が多い。

人の輪の中で、浮かないで仲間に入っていたい。
もともと興味の範囲が狭くて、話についていけてないので、みんなの会話がただ頭の上を飛び交っていることが多い。
とりあえず知ってるフリをして辻褄を合わせようとしてしまう。

興味もないのに、必死にキョロキョロと会話の流れを追って、どこか発言できるところで発言して、自分の方を見てもらおうとするので、よけいに疲れる。

家族との関係がうまく行っていないので、地雷の話題も多い。
そういう時は、こちらに振られた時にどう答えるかで頭がいっぱいになって、人の話はどうでもよくなっている。

そうやっていつも神経を張り巡らしているので、リラックスしている周りの人からは、当然浮いてしまう。

日常生活では、(痛々しくて)だれも私に突っ込んでこないので、自分では、そこそこうまくやれていると勘違いしてきたのだけれど、セッションを受けるようになってからは、そこを突かれて逆上する、ということを何度となく繰り返してきたように思う。


この前のセッションで、きんたろうさんから、
「自分こういう話題苦手なんだよね〜、聞かなくてよいよい、」と、自分を庇ってあげたらどうだろう。
そのことを後で誰かに話せるといいね。
と言われて、無性に泣けてしまった。

人とまじれている自分を演出して、必死で護っていたのは、プライドだった。
私は、外ばかりみてきた。
くるっと向きを変えて、自分の気持ちを見るなんてこと、考えもしなかった。
ずっと放置されてきた私の気持ちが、見つけてもらえて泣いていた。




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執着のわけ

私には、わかってほしいという執着が強くあります。
たとえ誰かわかってくれる人がいても、それで満足することがありません。
その人にわかってもらえたことを足掛かりにして、次のターゲットにわかってもらうことに執着し始めます。

受けてきたカウンセリングで、わかってもらえる満足感を感じていたはずなのに、
あなここに入った当初、わからせることに執着して、のっけから、臨戦体制になっていました。

その強い執着が、いったいどこからきているのか。

味方ができたと思うと俄然強気になり、攻撃的になるのは、
軸がないから自分の感覚に自信が持てないからなのでしょう。

本当にわかって欲しいのか、わかってもらえなかった過去を再現して八つ当たりをしたいだけなのか。
わかってもらえてもそこで満足できない現実がある以上、八つ当たりをしたいだけと考えるほかありません。

正当性の裏打ちをもらって、上から目線で人に当たってみたところで、本当に文句を言いたい人は別にいる。
結局は八つ当たりなので、文句を言って気が晴れることはない。


私の、ターゲットにギャフンと言わせたい執着と、攻撃性は、これからも発動すると思います。
そういう時、行動に移す手前で止めるだけのだけの自力をつけたいと思いました。















色眼鏡

今日、デイサービスに見学に行って、施設長さんと話し込んできました。

父のグループホーム入所は、良い選択だと思う。
父ならば、うまく馴染んでいけるだろう。
今のタイミングならばいいと思う。
そんな言葉をかけてもらいました。

おとうさんがいると、施設の雰囲気が違う。
おとうさんは、なにか持ってる。
おとうさんがいることで、助かっている利用者さんも居る。
できることならば、ずっとうちに通ってもらいたいと思っている。

そんなことを言ってもらえる私の父というのは、
いったいどんな人?


父は、気が短くて怒りっぽい人。
こどもっぽい人。
小心者。
思いやりのない人。
わがまま。
私は父のような人とは結婚したくない。

ずっと、そんな風に思ってきました。


父にどうして、生涯の親友がいたのか。
あんなにたくさん友だちがいたのは、どうして?
入れ替わり立ち替わり、父を頼っていろんな人が家に相談にきていました。
父が水商売の女の人たちから好かれていたのは、なぜ。
怒りっぽい人のはずなのに、私はほとんど怒られた記憶がありません。

私は、ずっと、母の目をとおして、父のことを見てきたのでした。

母が亡くなって、もうすぐ2年になります。
母は、毎日見舞いに通った父のことを、罵り倒して死んで行きました。
父の思いやりを受け取るだけの自力を持たない母でした。












自作自演


先日のセッションのあと、私は、しょっちゅう脳内で仮想問答をしていたことに、気が付きました。

これは、執着の相手と脳内で会話をして、相手の架空の返答にムカムカと腹を立てて、自ら腹の虫が治まらない状態を作り出す嗜癖がある、ということです。

好きなだけ怒っていられるための自作自演の世界。そこに生身の相手の存在はありません。
架空の返答で腹を立てることができること自体が、私の主観の強さの証拠でもあります。

振り返ってみると、これまでに何度となく、相手を変えてこのような仮想問答をやっては、気持ちを持ち切れなくなって、怒りをまき散らす、ということを繰り返してきたように思います。

特に、その場では不快に無感覚なまま、後になってモヤモヤしてきた時には、自動的にその装置に乗っていってしまいます。


最終目標は、不快をその場で自覚できて、その場で表現できて、後に持ち越さないことですが、

今は、途中からでもいいので、自分が装置に乗っていることに早く気がついて、そこから降りることをしたい、と思っています。

3/16覚書

私の癖=その場では、いったん納得したことを後になって蒸し返して、怒りを撒き散らすということ。
=自傷行為
それに、気持ち悪さを感じるか、感じないのか。
感じないのならば、感覚を麻痺させているということ。

主観で自分の正しさを確信して、相手にわかってもらえることを期待するということは、
初めから答えが狭まっていて、ゆるい関係では話せなくなるということ。(束縛、拘束)
地雷が多過ぎて、どこを踏んでも同じという自分の今の現実を認めること。

見て欲しい気持ちが強すぎて、自分のことしか考えていない。
子供の頃の家庭の再現のために、他の家族を巻き込んできた、という事実を、いい加減認識した方がよい。

このような人間と話す時の対処法。
自分の吐いた言葉すら、覚えていない状態。
さっきはこう言いましたよね、と、自分の吐いた言葉を印象付ける。
口調を早くさせてはならない。聞き直すことで、スピードを止める。
相手の言葉を復唱しながら、質問を考える。


いったん納得したことをひっくり返すということは、納得したくないということ。
どう転んでも、好きなだけ怒っていたいということ。
子どもの頃にされたことを再演して、関係のない相手に理不尽を訴えている。
これは、自分で変わる気持ちになるまで、これから何度でも繰り返すだろう。
そして、必ず行き詰まるだろう。
何度目で気づけるかということは、私次第。






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